妊娠出産は奇跡

不妊症&不育症でも子供が欲しい37歳の妊活奮闘記。

【はじめての妊娠】第14回「受容」

全19回に亘ってはじめての妊娠の時のことについて振り返っています。
※最終的に流産となりますが、途中妊娠中の記事もありますので、ご注意下さい。
第14回目の今日は「受容」について。※長文になります。

  1. はじまり ※こちらから1-19全ての記事にアクセスできます。 kasumintea919.hatenablog.com
  2. 婦人科受診
  3. 妊活
  4. 卵管造影検査
  5. 運命の日
  6. 妊娠
  7. 報告
  8. ちびみ
  9. 胎嚢確認
  10. 心拍確認
  11. 実感
  12. 異変
  13. 流産
  14. 受容
  15. 確定診断
  16. 手術
  17. 愛情
  18. 回復
  19. ちびみへ

14.受容

平成29年1月16日、9w1dの日

旦那の言葉に温度差を感じ、気持ち、感情の生理がつかないまま、助手席でぼんやりしていました。
少しすると旦那が

「残念だけど、俺たちの力じゃどうにもならないからね。」

と、言いました。
9割5分ダメと言われ、きっと無理なんだとわかってはいたけれど、私は諦められませんでした。
残り5分の可能性を捨てられませんでした。捨てたくありませんでした。
私は返事をすることができず、ただ黙っていました。


少しして、私の上司に報告してほしいとLINEしたことを思い出し

「そういえば、上司に報告してくれた?」

と聞きました。すると

「言ってないよ。部長には報告したけど。」

と旦那は言いました。

「あれ?LINE読んでないの?」

そう問いかけると

「あまりに衝撃的すぎて、ちゃんと読んでなかった。」

と旦那は答えました。
私は、ハッとしました。
ちびみを失いそうになったショックを受ける気持ちは、私も旦那も一緒でした。
ちびみは私と旦那2人の子供です。
それなのに、私は自分だけがつらいと感じていました。
自分が一番つらいと思い込んでいて、旦那に対して何の気遣いもないLINEを送っていました。

「ちびみ9割5分だめだって。心臓動いていなかった。」

そんな衝撃的な内容のLINEを見て、動揺したに違いないのに、部長に報告をし病院に車で駆けつけてくれたのです。
旦那の優しさが心に沁みました。

「今から職場に戻ろうか?」

と聞かれましたが、私は自分で上司に電話で報告することにしました。


家に着くと、旦那は私のコートを脱がせてくれました。
そのまま2人で抱きしめあって泣きました。
ふいに旦那が

「ぴょんた、仕事辞める?」

と聞いてきました。
私は何も考えられず、答えられませんでした。
このどん底から、立ち直れる気がしませんでした。


私はしきりに、残り5分の可能性を考えずにはいられませんでした。
ママリで一度止まった心臓がまた動き出したという、奇跡みたいなことが起きた人はいないか、質問してみました。
ネットでも色々検索もしました。
旦那に

「もう、そういうのは見ないの。」

と携帯を取り上げられました。


不思議をお腹は空きました。

「何か食べる?」

と聞かれ、「うん」と答えると、こんな時でも食べられる私を旦那は笑い、つられて私も笑いました。
旦那は何とか私を笑顔にさせようとしてくれていました。
私が笑うと

「ぴょんたは、ほんとよく笑うね。」

と、旦那も笑顔でした。


旦那が夕飯の買い物に行ってくれている間、私はまたこっそり携帯で検索の続きをしました。
奇跡みたいな話は「噂話」以外見つけることができませんでした。
私は、今日のエコーの画像が粗かったのも気になっていました。

「先生が下手くそだったんじゃないか」
「主治医の先生に診てもらったら、違うかもしれない」

そう考えました。
ネットで今日診察してくれた先生について調べると

「周産期専門医で、胎児超音波が得意」

そう書かれていました。
可能性がさらに低くなった気がしました。


夕飯は、私が食べたいと言った王将の餃子としゃぶしゃぶでした。
ちびみのエコーと一緒に、父からもらった王将の餃子の割引券をずっと一緒に保管していたため
なんとなく良い影響が出る気がしました。
大好きな餃子は、こんなときでも美味しかったです。

「お風呂に入る?」

と聞かれましたが、残り5分の可能性が捨てられず、負担の少ないシャワーで済ませることにしました。
シャワーを浴びて布団に入ると、また涙が出てきました。
旦那はずっと私を抱きしめてくれていました。
そのお陰で、夜は眠ることができました。


平成29年1月17日、9w2dの日
旦那は午前中仕事に行きました。
私は動く気になれず、安静にしている意味も含めて、午前中はずっとベッドの中でゴロゴロしていました。
しばらくは眠っていましたが、やがてまた携帯で検索をし始めました。
やはり、有益な情報は得られませんでしたが、同じような診断をされた方の中には
セカンドオピニオンに行っている人が多いことを知り
午前中にいつも通っている主治医の先生のところを受診すればよかった、と後悔しました。
携帯で検索していると、その中に

「流産は、赤ちゃんは忘れ物を取りに行っただけ。だからすぐに戻ってくる。」

そういう記事を見つけました。
その言葉を読んで

「そうか」と、胸にストンと落ちた感じがしました。


予定より早く、12時過ぎに旦那が帰ってきました。

「お昼は何が食べたい?」

そう聞かれたので

「お蕎麦」

と答えると、旦那が準備をしてくれました。
ご飯を食べた後、受診するため家を出ようとして、携帯に母からの着信があったことに気づきました。
今電話をしても、まだ確定ではないため、病院が終わってから電話をかけ直そうと思った矢先
旦那の携帯に今度は義母から電話がありました。
旦那が電話している横で聞いていると、話の内容としては、旦那が義母にちびみのことを報告していて
それを聞いて義母が母に電話をかけたというような内容でした。
私はすぐに母に電話をしました。
自分から話を切り出すのは辛いけれど、義母がすでに母に話をしてくれていたため
母が知っている分落ち着いて話ができる、と思いました。

数回のコールで「もしもし」と母が電話に出ました。

平気だと思っていたが、母の声を聞いた途端、感情が溢れ言葉が出ませんでした。
数回、母の「もしもし?」という言葉を聞いた後、ようやく

「もしもし」

と言葉を発することができました。
私はまた泣いていましたが、母は泣いていませんでした。
母も今から病院に来ると言ってくれましたが、母を見ると大泣きしてしまいそうだったので
とりあえず受診して今後どうなるかわかったら、また電話をすることにして、電話を切りました。

病院に着き、駐車場から歩いているとき、不意に旦那が

「今の受容の段階は?」

と聞いてきました。



エリザベス・キューブラー・ロス(Elisabeth Kübler-Ross;1926〜2004年)はアメリカの精神科医で、死の受容のプロセスを、5つの段階として科学的に捉えようとする「キューブラー・ロスモデル」を提唱しています。

第1段階 否認・隔離 自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階である。
第2段階 怒り なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階である。
第3段階 取引 なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階である。何かにすがろうという心理状態である。
第4段階 抑うつ なにもできなくなる段階である。
第5段階 受容 最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階である。

 ※私たち夫婦は看護師で、看護学校時代にこの死の受容のプロセスをお互い学んでしました。
  今回は死ではないけれど、振り返ってみると、流産もこの受容のプロセスに当てはまると思います。

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感想(18件)


私は少し考えて

「もう受容できているよ。」

そう答えました。







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