妊娠出産は奇跡

不妊症&不育症でも子供が欲しい37歳の妊活奮闘記。

【はじめての妊娠】第16回「手術」

全19回に亘ってはじめての妊娠の時のことについて振り返っています。
※最終的に流産となりますが、途中妊娠中の記事もありますので、ご注意下さい。
第16回目の今日は「手術」について。※長文になります。

  1. はじまり ※こちらから1-19全ての記事にアクセスできます。 kasumintea919.hatenablog.com
  2. 婦人科受診
  3. 妊活
  4. 卵管造影検査
  5. 運命の日
  6. 妊娠
  7. 報告
  8. ちびみ
  9. 胎嚢確認
  10. 心拍確認
  11. 実感
  12. 異変
  13. 流産
  14. 受容
  15. 確定診断
  16. 手術
  17. 愛情
  18. 回復
  19. ちびみへ

16.手術

平成29年1月18日、9w3dの日

9時に病院に到着し、受付をしました。
身長と体重を測定した後、診察に呼ばれました。
今日の担当の先生は、以前にも担当になったことのあるK先生で

「今回は残念だったけど、妊娠できるとわかっただけでも良かったと思って。こういうことがあった後は、よい経過をたどる人が多いし、前向きに考えてね。」

そう言ってくれました。
内診台に乗り、診断に変わりがないことを確認した後、子宮口を広げるものを挿入しました。
入れる時は思ったよりも痛くなかったのですが、その後から強い生理痛のような下腹部の鈍痛が出現してきました。

その後旦那と別れ、外来から病棟の安静室と呼ばれる場所へ移動しました。
できれば、手術ぎりぎりまで旦那と一緒にいたかったのですが、安静室には本人しか入れないということでした。
安静室にはベッドが3つありましたが、本日手術をするのは私1人ということで、他には誰もいませんでした。
私が案内されたベッドには、体幹抑制がセッティングされており、びっくりしました。



 体幹抑制とは、病院で患者さんが暴れ、このままでは患者さんの安全が守れないと判断した時に、家族の同意を元にやむを得ず使用するものなのですが・・・なぜここに???

疑問に思いながら、用意された病衣に着替え、髪の毛を邪魔にならによう2つ結びにしました。
次に点滴を入れることになったのですが、
私は普段、駆血帯がいらないくらい、血管が隆々としているのですが、
緊張して手がつめたくなっており、また昨夜から絶飲食だったせいもあり、全く血管が見えなくなってしまっていました。
右手、左手と試すが失敗し、他の看護師に交代し左手にもう一度試すも失敗。
さらに他の看護師と交代し、3人目でようやく左手の手の甲に24Gが無事留置されました。
この、24Gというのは、点滴の針の太さを示し、数字が大きいほど細い点滴を意味するのですが、
 ※普通、成人の大人であれば、20G、22Gなど、手術などで大量に投与したい場合は、16G、18Gなど、高齢者や小児などで血管がとりにくい場合には24Gが使われます。
普段、隆々としている血管があり、採血では失敗されたことのない自分がまさか24Gしか挿入できないことにびっくりしました。
実は私、いわゆる手術というものが初めてだったので、本当に緊張していたのだと思います。


旦那は近くのスターバックスで時間を潰していました。
携帯電話は自由に使えたため、旦那と近況をやり取りしながら、その時はまっていたLINEPOP2をしながら時間を潰しました。
11時頃、手術の準備ができたとのことでトイレへ行き、隣にある処置室に異動しようとすると、
突然先生が来られなくなったとのことで、再度待機することになりました。
ベッドに戻り携帯を見ると、母から着信が来ており、折り返すと病院に着いたということでした。
ほっとして電話を切ると、それまで緊張していたのに突然眠くなってきて、そのまま寝てしまいました。
旦那からは「麻酔いらずだね」と笑われました。

眠りから覚めると、時間は12時を過ぎていました。
点滴のところを見ると、点滴が漏れて掛布団が濡れてしまっていました。
どうやら、接続部から漏れているようで、ナースコールを押し見てもらうと、やはり接続部からの漏れで、刺し直ししなくても大丈夫でした。
その後手術の準備が整ったとのことで、再度トイレへ行き処置室へ移動しました。
処置台に乗り、心電図モニター、血圧計、SPO2モニターを装着されました。

手術を担当してくれる先生は、先ほど診察してもらったK先生ではなく、初めて見る白髪の年配の先生でした。
「よろしくお願いします。」と言うと
「じゃあ、ラボナール8cc入れて。」という指示が出ました。
ラボナールとは麻酔薬です。
自分の心拍数が上がるのが、モニターの音がわかりました。
私は看護師なため、普段自分は処置をする側なのですが、される側になって初めて
「やっぱり緊張するもんだな。」と思いました。
「一緒に数を数えましょう。」と言われ、全く眠くなっていなかったため
「本当にこれで眠くなるのか?全然10までなんて余裕で数えられるよ。」
と思いながら数を数え始めました。

「1・2・3・4・5・・・・・・」

4か5辺りでわからなくなり、「始めますよ~」という声が遠くで聞こえたような気がしました。
なんとなく痛いような気がした直後、「終わりましたよ。」という声が聞こえました。
ベッドを持ってきますね、と言われた次の瞬間、既に横にはベッドがありました。
まだ朦朧としながらも、「大丈夫です、移れます」と自分でベッドに移動しました。

隣の回復室に戻ると、無性にうんこがしたいお腹の痛みに襲われましたが、
トイレに行きたいと言おう言おうと思いながら、そのまままた眠りに落ちてしまいました。
どれくらいしてからか、一度看護師さんが来てくれ、出血の状況を確認してくれました。
気付くと、セットされていた体幹抑制が装着されていました。
「1時間後にまた来ますね。」と言われ、私は旦那に無事に終わったメールをしようとしましたが、またすぐに眠りに落ちてしまいました。

13時半過ぎにようやく目覚めました。
まだうんこがしたいようなお腹の痛みは続いていましたが、手術直後よりは改善していました。
気持ち悪さはなく、むしろお腹は空いていました。
「喪失感」もありませんでした。
ようやく旦那にメールをしました。

メールをしているうちに看護師さんが来てくれました。
聞くと、どうやら私は6までしか数えられなかったようでした。(笑)
腹痛もひどくなく、覚醒もしっかりしているため、点滴を抜いて帰宅できることになりました。
今後について説明してくれた後、その看護師さんが

「これは一女性としての意見。きっと突然悲しくなると思います。でも、それは正常なことなので、悲しいときは周りにいっぱい甘えていっぱい悲しんでください。」

そう言ってくれました。
その言葉が、とても嬉しかった。

着替えるためにトイレへ移動すると、うんこがしたい感じはすっかりなくなっていました。
しかし、いつもの生理とは違い、出血がドバドバと出てしまう感じがあり、トイレを汚してしまいました。
着替え終わると、先ほどの看護師さんが「N看護師と知り合いなんですね。」と言ってきてくれました。
実は、ここの病院は、私の高校の同級生が看護師として働いている病院だったのです。
本日勤務しているとのことで、少し話しますか、と提案してくれていたところ、ちょうどNが部屋に来てくれました。
私は思わずNに抱きつきました。
Nの顔を見たら、ほっとしました。

旦那と母が3階の喫茶店にいるということだったので、会計へ行く前にNが喫茶店に案内してくれました。
茶店へ行くと、母と旦那が待っていてくれました。
旦那に抱きつきたかったのですが、人前ということもあり母に抱きつきました。
涙は出ませんでした。
「悲しさ」「喪失感」もありませんでした。
「意外と元気だし、大丈夫だな。」
そう思いました。
「もう、すっかり受容できているんだな。」
そう感じました。

会計へ降りると、ちょうど父が到着したところでした。
父は何も言わず、ただ頭を撫でてくれました。

ここの病院は産婦人科のため、赤ちゃんもいっぱいいるのですが
会計でたくさんの赤ちゃんを見ても、素直に「かわいい」と思えました。
「かわいい」と思えたことで、「自分は大丈夫だ」そう思えました。

父と母は昼食を済ませていたが、旦那はまだ食べていませんでした。
旦那に「何か食べに行く?」と聞かれ考えましたが
お腹は空いているけれど、外食する気分ではなかったため、外食はしないことにしました。

会計が終わり駐車場へ移動しました。
手術後は実家に戻ると自分で決めたはずなのに、旦那と別れることが辛い、と思いました。
結婚して約1年半、それまでは自分が安心する場所は実家でしたが、
いつの間にか一番安心して眠れるのは、旦那の腕の中になっていました。
父の運転で実家に帰る途中、車内で今までの経過を父と母に話しましたが、やはり涙は出ませんでした。

旦那と別れた後、昼食も食べずに待っていてくれた旦那のことを考えました。
LINEを読み返すと、私が途中で「お腹すいた」と送っており
きっと旦那は私と一緒に昼食を食べることになるかもしれない、と考え
食べずに待っていてくれたんだろう、と思いました。
その旦那の優しさを私は考えず、自分の体調のことだけで断って別れてしまったことを後悔しました。


途中コンビニに寄り、パンを1個買って車内で食べました。
もう少し買えばよかったかな、と食べた直後は思いましたが、
家に着くころ、少しムカムカしてきました。

家に着くと、私は着替えてベッドに入り休むことにしました。
まだみんなにはメールする気になれませんでした。
旦那が恋しくなってメールすると旦那から電話が来ました。
旦那も疲れており、これから寝るということでした。
「待つ」方も疲れるのに、そこでもまた私は
「自分だけが辛い、大変だ」と感じていたことに気づきました。
旦那はいつも私に優しくて、いつも私のことを考えてくれているのに
私は自分のことばっかりでした。
流産がわかったときのこと、今日の昼食のこと、そして旦那が疲れていること。
私はいつも反省しては、結局いつも自分のことしか考えていませんでした。

夕食は鶏塩麹鍋を食べました。
一人で布団に入ると、また涙が出てきました。
家には一人ではないけれど、旦那と一緒に居られないことが悲しく、旦那と一緒に旦那の腕の中で眠りたかった、そう思いました。






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